10年後って、きっと想像とずいぶん違ったことになっているから、「先の心配」より「今、最善の選択」をしていると信じるのがいいよ

先の心配はしんどい。「今、最善の選択」をしている自分を信じたらいいと思うよ。


10年前に転職した時、転職先は最長5年の有期雇用だったが、やりたい仕事だったし、5年後の事は5年後に考えよう、と新しい仕事に就いた。

仕事は楽しくて、でも5年で終わるのかぁと思っていたら、無期雇用にならない?と言われて、幸せなことに定年まで働けることになった。

ところが10年目になった去年、引っ越しを機に定年まで安泰を予定していた仕事を辞め、今無職になっている。そして毎日結構楽しい。

そんなことになるなんて、10年前は考えてもみなかったのだよ。

なんでこんなに意地の悪い人が世の中にいるのか、これはドラマか?と言いたくなるくらいの怖い怖い20年以上鎮座し続けたお局様が突然異動になって、職場と私の目の前が急に明るくなった、ってこともあった。

ということで、何がどう転ぶか、先の事は見えないものなんだなあ、という話。

金融庁が80歳までに2,000万円必要だと言い始めた時は、そうなると使えるお金は毎年いくらで、入院したら、介護が必要になったらいくら必要で、年金じゃ生活できないから働けるうちは働いて・・・と「心配スパイラル」に陥り、何回も貯金の残高を確認したり計算機を叩いたりして、やたら先の心配をしてしまっていた。

5年前はコロナ禍で、外出してはいけない日常なんて考えてもみなかった生活を送ったでしょ。命の危険を感じる生活の中、明日があるかどうかなんてわかんないよな、と身に染みて感じたものだ。

そして今年、20年暮らした家から引っ越し、無職である。自分でもびっくりだ。
そんなことになったら経済的に無理、老後も無理、貧困一直線、と思っていたのに先の事ってわからない。

もう58歳だから、5年後、10年後なんてこの世にいないかもしれない。宝くじが当たって悠々自適、贅沢三昧の暮らしかもしれないし、介護が必要な身体になっている可能性だってある。

考えても考えなくてもそうなる時って自動的にやってくるものなのだ。なら先の事をあまり深刻に考えなくていい。そしてきっと考えたことと全く違うことになっている可能性の方が不思議と高い。
それより「今、最善の選択」をしている自分を信じたらいいと思うよ。

長年がんで闘病している友人は、「私なんて来年生きているかもわからない。来年より今日が大事。」と言い、「私はがん患者。オカユちゃんはバツイチ。お互い楽しくやっていこうぜ~」と最高の励ましをもらった。これね。これ。

今まで節目節目で色んな「選択」をしてきたけれど、今毎日楽しいから、きっと「最善の選択」をしてきたのだと思っている。