歌は好きだが声量がない。忌まわしい記憶がよみがえった朝。

朝から残念

毎朝NHKFM クラシックカフェ(再放送)を聞いて歌いながら通勤している。この朝は「オックスフォード・ニュー・カレッジ合唱団」による合唱がラジオから流れている。
なんでも14世紀から続く伝統ある合唱団だそうだ。美しい歌声とハーモニー。

14世紀って。鎌倉時代が終わって室町時代になって、織田信長が出てくる200年も前。バッハだってヘンデルだって生まれてくるまでまだ300年もある。恐ろしいほどの伝統だ。美しいねぇ。とうっとりと聴いていた。

その曲を聞くとその当時のことが思い出される、と言うが、この朝は聴いていた美しい合唱曲とは全く関係なく「合唱」が誘引となって昔の悲惨な出来事を思い出してしまった。

歌は好きだが声量がない。声質もイマイチな子供の私の声に突きつけられた「辞めてもらうしかない」

私は子供の頃から音楽が好きで、ピアノを習い、歌も大好きだったから小学4年生から地元の少年少女合唱団に入っていた。ソプラノよりもメゾソプラノやアルトが好きで、ハモるのが得意。
楽譜に書いてなくても、メロディを聞くだけで良い感じにメゾソプラノやアルトのパートを作って歌える。音程を取るのは得意だったんだよね。

でも、声量がなく声質もイマイチ。ソロでは全く通用しない。それは重々承知していたし、楽しく歌うことが目的の地元の合唱団で楽しく歌えていることが楽しかったのに、ある日、パートを一人ずつ歌った時、合唱指導の先生から
「そんな声では辞めてもらわなくてはならないわね」と言われたのである。
小学校6年生の私には衝撃的な一言だったよね。子供に言うかね?

ここって歌がうまくなければ入ってはいけない場所だったんですか?今の私なら合唱団設立の経緯と目的を調べ上げて先生に厳重に抗議するところだが、たったの6年生ですから、もう怖くって悲しくって傷ついて、その後間もなく辞めちゃったんだよね。

しかも、この忌まわしい記憶に誘引されて、ついでに別の忌まわしい記憶まで出てきた

大学時代に帰国子女の前で英語で話をしていたら、「オカユの英語って子供が話す英語みたい」と言われ、それから日本人の前で英語を話すのが怖くなってできなくなったこともついでに思い出してしまった。
そりゃ帰国子女のほぼネイティブにしてみたら純ジャパニーズの私の英語はつたなく幼く聴こえるでしょうよ。でも外国人からそういう風に言われたことはない。「伝わるか」が大事じゃん。一生懸命勉強していたのにな。
結構傷ついたよねぇ。
でも「あなたの日本語も相当変だよ。海外暮らしが長いとそうなるよね」と言い返しそうになったが言い返さなかったよ。

クラシック→合唱→辞めるしかない→英語のトラウマ。
思い出したくなくても勝手に湧いてくることがある。

誘引って恐ろしい。早く忘れよ。