性別による区別や役割分担に囚われることなく、個人の信条や生き方を自分で決められる社会を目指そうという「ジェンダーレス」とか「ジェンダーフリー」といった考え方が盛んに取り上げられるようになってきた。
ジェンダー(Gender)
ジェンダーとは、男性・女性であることに基づき定められた社会的属性や機会、女性と男性、女児と男児の間における関係性、さらに女性間、男性間における相互関係を意味します。
引用元:UN Women日本事務所「ジェンダーとは?」
職業上の差別をなくす。育児は男女で行う。制服をスカートやスラックスを選べるようにしたり、おもちゃ売り場も最近はジェンダーレスを意識した陳列をするお店があるとか。
彼女の思考や行動の源泉は「好きだから」
この話題や取り組みがあちこちで盛んに取り上げられるようになってきて、しみじみ思うのは、私はすでに20年以上前から、
「社会や環境が当たり前としている性別を区別するという認識や信条は、我が娘の前では何の意味もなさず、
彼女の感覚や認識は彼女自身のものである
ということを小さな娘の行動や発言から気付かされ、新鮮に受け止め、素敵なことだと思ってこれた」
事である。(もちろん幼い娘は無意識だったと思う)
娘は今年28歳になりますが、小さな時も今も、ジェンダーレスなんて言葉がなかった頃から、彼女の思考や行動の源泉は「女だから」「女の子だから」ではなく、「好きだから」をキープ。さすが私の娘。
子育てが完了した瞬間。娘の場合。2~3歳の頃
オモチャ売り場を喜んで回っていたら、突然うわーん、て泣き出して、何事かと思ったら
「お人形が怖い」と。
リカちゃん人形やらバービーちゃんやらシルバニアファミリーに囲まれている売り場での出来事。怖いかあ。
その代わり、怪獣や戦隊ヒーローのコーナーでは目をキラキラさせて、いつまでも嬉しそうに囲まれて、怪獣の塩ビ人形を買ってもらいご満悦な表情。
誕生日プレゼントはヒーロー物かレゴブロック。
小さな子との新幹線の旅。お疲れさま。ママたち。幼稚園のイベントで
お神輿の飾りを作っていた時、男の子はウルトラマンの絵、女の子はセーラームーンの絵を書くことになっていた。ある日迎えにいくと、先生から
「◯◯ちゃん(娘)はスーっと「ウルトラマン」のお神輿の方に行きましたので、そのままウルトラマンの飾りを作ってもらっています(ニコニコ)」
先生や周りのお友達もママ友達もなあんとも思わず、いじめられることなんて皆無。もちろんウルトラマンを担いでゴッキゲンで練り歩きました。
遊ぼー!と誘ってくれるのも男の子だったなあ。戦いごっこ大好き。
小学生の時
用事があり、2時間目から出席するために教室へ送っていったら、娘の姿をみた男の子達から
「よっしゃあ!」の声。
休み時間にドッジボールの対抗戦があり、ドッジボールで小学校随一の実力(娘談)を持つ娘を、待っていてくれたらしい。
6年生の時なんて、お友達のお母さんから
「びっくりしたわあ。部屋で野郎(5、6人)だけで遊んでいるのかと思ったら、真ん中に寝っ転がって〇〇(もちろん我が娘)がマンガ読んでた(笑)」なんて事も。
うまくまとめたと思ったのに
結論をね、
「彼らはとっくにジェンダーレスなコミュニティだった。そんな子供たちが大人になった。今よりもっと、好きなことを好きと言い続けられる社会になることを、期待している。」ってまとめようと思ったらさ
「子供ってジェンダーレス」というだけなのではないかと。
娘から、↑の発言と、次の意見をいただきました。
「そんな子供たちが大人になった」から期待できるわけではないのでは?
お母さんの時代も、子供はジェンダーレスだったのでは?
なぜなら子供はジェンダーなんて知らないから。でも大人になるに連れて社会から「男女」の価値観を学び、順応して、慣れてしまう。
つまり、当時自分の周りにいた、「ジェンダーレスな感覚を持った子供」がその感覚のまま大人になったかどうかはわからないし、そうでなくなっている可能性が高い。この点は、昔も今もきっと同じ。
ただ、私の子供時代は、お母さんの子供時代と比べて、その「社会から「男女」の価値観を学ぶ」その程度が緩くなってきていたのでは、と思う。
そういう意味で、「子供を育てる周囲の大人の感覚が、ジェンダーレスの片鱗を見せていて、それに育てられた子供が大人になったから」、「今よりもっと、好きなことを好きと言い続けられる社会になること」を期待できるのでは?
とのこと。なるほど。
いずれにしても1000文字程度では収まらない真剣な話。
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