忍耐と寛容:母との旅行に必要なもの

・母と3日も一緒にいると、必ず1度はもう二度と母とは旅行に行かないと思う時がある。

今回も「ばあば節」が炸裂した奈良2泊3日の旅であった。

まずとにかくせっかちに「早くしろ急げまだなのか」のリピートである。急がなくても大丈夫よ。と言うと「そんなことない」って怒るしさあ。

説明しておいたことを「聞いていない」と怒り出すし、以前一緒に行ったスタバの話をすると、スタバには行ったことない、と言えば良いものを「スタバなんか行ったことない」と言うものだからこちらも「かっちん💢」とくるわけである。
いやいや、何度も一緒にコーヒー飲んでるでしょ。と言いたくなるところをあきらめるのも骨が折れる。

話したいことを一気に話したいらしく、唐突だったり途中から途切れ途切れに話し出したりするからなんのことだかさっぱりわからない。

・とにかくせっかち、短気、頑固マシマシだ。

それでも私や一緒に行った孫達なら、話の前後を聞き出したり想像したりしてなんとか理解するのだが、今回はスペシャルなゲストとして、私が高校生の時に家にホームステイしていたマレーシアの友人が久しぶりに来日し、一緒にいるのだ。
母の複雑で途切れ途切れの弾丸トーク、いきなりの愚痴、母にしかわからない人間関係、突然の話題変換。
友人は日本語が流暢であっても一緒に暮らしていないから母の交友関係まで把握はできていない。当たり前である。
そうなると母は私に「はい、訳して」と言わんばかりの態度。
彼女にそんなこと言わなくてもいいのに、空気読んでよ、と言いたくなるがお構いなしである。
ご近所の話をするならその人間関係の説明からしないと通じないのに、もーそんなこと話さなくても良いよ。トホホ。

さらに、人生長いから(80歳)色んな時代と場所が混ざってしまい、旅行1つとっても、行った先と一緒に行った人が混ざって違ってしまう。
んー、その時はあの人と行ったんじゃない?と言うと「そーだったかい」ならまだしも「そんなはずない」となり機嫌が悪くなることも。

歳を取って、ここ10年位はこんな感じが年々顕著になってきている。

・まあでも次の旅行を考えようかな。

私は小さな頃から「言葉がきつい」と母から言われ続けていたが、これって、一周回って母譲りなんじゃないのか?モー絶対そうだな。
ということは私もこうなっていくのか・・・?
いやはや人の振り見て我が振りなんとかだわ。きっとこれは私の将来の姿。
子供達に反論するのは今後一切絶対やめよう。昔の話しとかも極力やめよう。気を付けてはいたが、今後はさらに「老いては子に従え」だ。

たった2泊3日でこうなるので、母と同居してくれている弟夫婦には全く頭が上がらない。

ケンカするわけにもいかないし、どーにもならないので私も最近は黙って引き下がるように努めているが、口も聞きたくなくなる時もある。

楽しかったけど大いに疲れて、もー旅行は勘弁、と旅行の翌日職場の年上の人に愚痴っていたら、
「でもね、きっと後になって、『もっと連れていってあげればよかったなあ』って思うわよ。」
「好きなことを好きなだけ好き勝手に言って、お母さんはきっととっても楽しかったと思うよ。それでいいのよ。負の気持ちは食べて飲んで流しましょ。」と言われた。
定型文ではあるが、たくさん慰めて誉めてもらって、マインドリセットできた。
そおなんだよね。わかっている。

さて、次はどこに連れて行こうか。