美しい仏教音楽:天台宗の荘厳な「声明(しょうみょう)」

初めて知った仏教音楽「声明(しょうみょう)」は「グレゴリオ聖歌」のよう

読経というより、これは「歌」

先日、信州善光寺で365日欠かさず行われている朝の法要「お朝時」に参列する機会があった。
一般の参拝者も本堂に入り、法要に立ち会うことができる。

善光寺は無宗教の寺院であるが、日頃は天台宗、浄土宗が管理、運営を行っている。
日の出の1時間後から始まるこのお朝時(今回は6:00)は、全僧侶が出仕し、天台宗、浄土宗の順で約30分ずつ行われる。

広い本堂の装飾、御本尊が祭られている瑠璃檀の美しさと荘厳さに圧倒されていると、天台宗の法要が始まった。
始まったと思ったら天台宗の全僧侶による「声明(しょうみょう)」が大迫力で流れて来たのである。

初めてなのでなんの知識もない。これは何?という状態だ。
頭に浮かんだ言葉は荘厳、清廉、澄み渡る音、本堂に響き渡る低音の迫力。それでいて優美。

そして何かに似ている。聴いたことがないのに聴いたことがあるような。
しばらく考えて、頭に浮かんで来たのは「グレゴリオ聖歌」だ。

聞こえてきたお坊様達の歌。「声明(しょうみょう)」とは

初めて聴いた(と思う)。読経ではない。いや、読経でしょう。いやでも、これは歌だ。と頭の中を行ったり来たりし、この美しい音色にただただ感動していると、

善光寺のお朝時では、天台宗は読経に節を付けて唱える『声明(しょうみょう)』という「歌」を唱えるのです。

と、お朝時の案内人の方が説明してくれた。
経文に旋律、抑揚をつけて唱える仏教音楽だそうだ。

同時期に生まれた「声明」と「グレゴリオ聖歌」

この旋律、抑揚、音の高低。斉唱なのにハーモニーのようにも聞こえる音。浮かんだのがローマ、カトリック教会で歌われるグレゴリオ聖歌だ。

グレゴリオ聖歌はローマ・カトリック教会で用いられている単旋律、無伴奏の宗教音楽。
教会に響き渡るあの音、僧侶たちの声が本堂に響き渡る「声明」に通じるものがある。

調べてみると、「声明」は平安時代初期というから9世紀の初めに中国から伝わり、「グレゴリオ聖歌」も9世紀に生まれたとされている。

地球上のどんなことも、言葉や人種が違って、会ったことも見たこともないのに出来上がったものは同じ。こういうことはよくある。
例えば私が留学していたスリランカの言葉は、日本語と同じ「あいうえお」の50音だ。言葉は全く違うのに、どちらも「あいうえお」である不思議。

どちらが先ということではなく、おそらく人間って文化や環境、言葉が違っても、DNAの深い所で同じものを持っていて、地球の反対側でも似たようなことをしている生き物だということよね。

本堂での空間で流れる香り、空気、殊に空気の振動はその場でこその体験だ

でもネットで聴いちゃった

その場、その瞬間に感じた衝撃と感動は一度きりしかないから、その時の音を耳と頭に記憶すべき。

とは思っているけれど、そんな考えはネット上に「声明」の動画がたくさんアップされているのを目にした時にもろくも崩れ、世俗の人となってしまった。
やっぱりもう一度聴きたくて、崇高?な心は横に置き、YouTubeを再生しちゃった。
天台宗のHPにも動画があるくらいだ。今、なんでもネットにあるのね。

しかし、あの善光寺の本堂での空間で流れる香り、空気、殊に空気の振動はその場でこその体験だ。動画では伝わってこない。
ということで動画の触りだけは聴いたが、自分の記憶を大事にしたくて、結局停止ボタンをタップしましたとさ。

(参考)
天台声明(てんだいしょうみょう)https://www.tendai.or.jp/shoumyou/
(参照 2023.10.7)