お守りの賞味期限

「お守りの賞味期限は1年です」だって

去年由緒ある神社を参拝した時、神社の人から神社にまつわる歴史やお参りの作法をありがたく聞いていたら、締めくくりの言葉が

お守りの賞味期限は1年です。過ぎたらご利益はありませんから新しいお守りにしましょう。こちらで販売しています。ニコニコ。

だった。

歴史や由来等をありがたく聞いていた私だが、結局この宣伝だけが心に残ってしまった。

由緒ある場所でも営業活動をするんだ。どこも大変だなあ。しかし、ということは、今家にあるお守りやお札は全て賞味期限切れなんかい?それに、お守りに「賞味期限」という表現を使うのねぇ。

ええと、どうしましょうかしら。一新すべきかしら。しかも同じ神社の別の場所で話を聞いていたら

こちらのお守りは賞味期限はありません。永久にご利益がありますから一度買えば心配ありません。ぜひお買い求めください。

と言うのだよ。ええと、ますます困った。どっちでしょう?

うちのお守りはどれも賞味期限切れ

毎朝、家に並べたお守りにお参りしてから出勤している。神棚はないが、リビングの棚に「厄除け、火災防止、伊勢神宮豊受大御神のお札、学業成就、交通安全のお守り」を並べて手を合わせる。

神頼みではなく自分自身の「今日の在り方」を再確認するためだと思っている。自分に起きる全ては自分の責任で起きる事なのだからね。

  • 厄除けのお守りに向かって「今日も謙虚に過ごします」
  • 火防のお守りには「出かける前に火元をもう一度点検して火事を起こさないようにします」
  • 伊勢神宮豊受大御神のお札には「一生懸命働きます」
  • 学業進学成就のお札は「いつも勉強します」
  • 交通安全の御守りには「交通事故を起こさないように運転します」

という具合。お守りが増えるにつれ、お参りの時間が長くなっている(笑)

毎朝お参りしてから出勤する。自分の物理的心理的安全点検。

でもこのルーティンのおかげで、「あ、あそこの戸締まりしてない」とか「電気の消し忘れ」を思い出したり、勢いで走ろうとする自分にストップをかけ「謙虚な心」で過ごしたい、ということを思い出すことができる。
ワサワサしている慌ただしい朝、いったん深呼吸し、落ち着いて、ゆとりをもってという具合に、物理的心理的安全点検のようなことをするためのお参りになっているみたい。

並んでいるお守りは、どれも家に来てから少なくとも1年以上経っている。
学業成就のお札に至っては、息子の大学受験の時のものだ。
合格祈願というよりは「事故や病気にならず、万全のコンディションで全力を出し切れますよう、息子の健康管理に気を付けます」ということを私が自覚する意味合いで頂いたもの。(受験は実力だから、神頼みはしてはいけないと思っているため)

息子は大学を卒業して今社会人2年目だからもう6年たっている。今は自分が毎日「学ぶ」気持ちを持ち続けたいと思って手を合わせている。

そうはいってもいろいろと「欲深い」んだよなあ。

もうずーっとこうしてきているのに、賞味期限の事実が知らされるなんて。
さらに永久に効力があるお守りというものも存在するとは。

神様や仏様を拝むことは「与えてもらう」のではなく、「自分の心を見つめるため」にあることだと思っている。そのはずなのに「ありがたいお話」は頭に残らず「お守り賞味期限」だけ残るとは、結局私って欲深いのだ。

とまあこんな具合だが、結局お守りは買わずに帰って来た。やっぱり心がけも行動も自分次第。
しきたりや作法はあれど、私としては、自分に起きる良いことも悪い事も静かに見守ってくださっているこれらのお守りやお札は永久です。