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夫はスマートフォンの電話を切るという動作を最近学んだ
変だなあ、とは私もずっと思っていたのだけどね。
例えば私が電話に出られなかった時、私のスマートフォンに留守番電話のメッセージが残っている。
メッセージを再生すると「ガサガサ、ゴソゴソ」という音がずっと聞こえている。
最初のうちは単純に切り忘れたのだろうと思っていたのだが、何度もこうなる。
そこで試しに電話の後こちらから切ることをしないでおいたら、ずーっとガサガサ、ゴソゴソという音が聞こえていた。
これはやはり電源を切らずにカバンかポケットにしまったに違いない。
次も同じように切らずにいたら、その時は電話が切れていないことに気がついたらしいが、「あれ?電話が切れてないよ」なんて言っているのが聞こえてきた。
なぜ通話が済んだら電源を切らないのか。
ひょっとして妻(または相手)が切るべきと思っているのか(これが理由なら傲慢だわ)。
聞いてみようと思ったが、どうせ逆ギレして「君が切ればすむ話だろ」と手前勝手な回答だろうな、面倒くさいから放置。として私から切るようにしていたの。
先日、大爆笑の事実が判明。
この間、電話で用件が済んだ時、机にスマホを置いていたら
『恐れ入りますがお電話をお切りください』って言われた。
相手(どこかの問い合わせ先)にとってはこちらがお客様だから、自分からは電話を切らないんだな。さすがだなあ。
いや、そうだけどそうでもないけど。
しかしこれはチャンスと思い、
それはそうだけど、お父さん、この間ずーっとガサゴソ言ってたよ。留守電にもガサゴソ音が入るよ。
お父さんも電話を切らないよね。と恐る恐る伝えてみたら、
えっ?スマホの電話って通話が終わったら勝手に切れるんじゃないの?
と真顔で「知らなかった~」と言う。
夫は、通話が終わればそのタイミングでスマートフォンが自動で電話を切ってくれると何の疑問も持たなかったそうだ。
だってさぁ、通話が終わったってどのタイミングで判断するわけ?
ひょっとしてパソコンのスリープ機能と混同しているのか?
まさかの返答に、さすがにイライラすることはやめておいた。
高度な技術とそこから乖離してしまった一部の人々の感覚のギャップ
この状況は、高度な技術とそこから乖離してしまた一部の人々のギャップを象徴している。
今や多くの人々にとって、スマートフォンは手放せない日常の一部だ。LINEやメール、SNSを使ったコミュニケーション、情報収集等、その利用シーンは無限に広がっている。
夫はずっと「スマホなんて」とバカにして持たないことを自慢していたが、それが日常の一部となった今、そうも言っていられず、2年程前に初めてスマートフォンを手にした。
今回の通話終了の操作は、スマートフォンの多機能と便利さに、
「あれもこれもなんでもやってくれるものすごく便利な物」
と、委ねすぎちゃったというか。
夫も高齢者のカテゴリーに入りつつあるのか(56歳)。
まだ困ります。
スマートフォンの操作は直感的というか、子供達はわかっていようがわからないだろうがとりあえずどんどん先に進むが、我々「取り扱い説明書」世代はそうはいかない。
確実に次の操作がわかっていないと先に進めなかったり途方に暮れてしまうこともよくある。
通話を終える操作はただのボタンの一つではなく、新しい技術への適応を示す挑戦ともいえる。(大げさ?)
それに新しいことを学ぶ勇気や、高齢者でも時代の変化に対応しようとする柔軟性の象徴ともなる。(大げさ?)
「色々と困ること」は脳の老化を遅らせてくれるからな。
まあでも、その後は通話を自分で切るようになったよ。